スサノオ(須佐之男命、素戔男尊)と大国主(大穴牟遅神オオナムチノカミ)の関係(2)

日本書記から天上界から降ってきたスサノオの様子を振り返ろう。

スサノオの行いは酷いものでした。 よって神々は千の台座に乗るほどの宝を提出させて、最後には追放してしまいました。 

このときにスサノオは息子の五十猛神(イタケルノカミ)を連れて、新羅国に降り、曾尸茂梨(ソシモリ)に辿り着きました。 

そこでスサノオが言いました。 

「この土地に、わたしは居たくない」 

それで土で船を作って、それに乗って東に渡り、出雲の簸の川(ヒノカワ)の川上にある鳥上之峯(トリカミノミネ)に辿り着きました。

ここで面白いのはスサノオは最初に新羅国に降り、のちに出雲の簸の川(現在の揖斐川)に渡ってきた事だ。この事はスサノオが新羅経由できた渡来人である事を示している。新羅から船で渡ってきて出雲(島根県)にたどり着くのはとても自然な事だが、私はスサノオは揖斐川の砂鉄とタタラ製鉄を手に入れて、強大な国家を建設するための来たのではないかと考える。

その後、スサノオはクシイナダヒメと結婚生活を送る場所を探していました。 遂に出雲の清地(スガ)にたどり着きました。

スサノオは言いました。 

「私の心は清々しい」

この場所に宮殿を立てました。

スサノオとクシイナダヒメは結ばれて生まれた子供が大己貴神(オオナムチノカミ)です。 

とこれが日本書記本文の記述である。大国主はスサノオの子供にされてしまっている。日本書紀には本文に加えて、いくつもの異説が付け加えられている。ここでは異説ではなく、本文に大国主はスサノオの子供だと書いてある事に価値がある。つまり、日本書紀は明確な目論見を持って嘘を書いたという事である。

いくつもの異説が書かれているのが日本書記が読みづらく、しかし、歴史資料としての価値が高い所以である。つまり、日本書紀が編纂された折、各地の有力豪族はそれぞれに一族の史書を持っていて、それを集めて編纂されたのが日本書記という訳だ。ただし、重要部分は改竄されて。

その後、スサノオは国を大国主に譲り、根の国に引き下がったと書かれています。

(日本書紀によるスサノオから大国主への国譲り)

スサノオは命令を下しました。 

「私の子(=オオナムチ)の宮殿の首長は脚摩乳(アシナヅチ)・手摩乳(テナヅチ)だ」 

それで二柱の神(=アシナヅチ・テナヅチ)を稻田宮主神(イナダミヤヌシノカミ)と名付けました。 その後、スサノオはついに根の国へと行ってしまいました。

(出雲国風土記による大国主の根の国訪問とスサノオから大国主への国譲り)

「お前が持ち出した生大刀、生弓矢を使って、八十神たちを坂の裾まで追いつめて、川の瀬に追いはらうがよい。そして、お前はオオクニヌシとなり、ウツクシクニタマとなり、スセリヒメを正妻にして、宇迦の山の麓に太い柱を立てて、高い宮殿に住め。この野郎め。」

オオナムチはスサノオの助言のとおり、生大刀、生弓矢で八十神たちを追いはらい、自分の国を造りました。

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