今更蒸し返したくはありませんが、ちゃんと勉強しないとこれからも土下座外交を続ける事になるのです。

以下は便衣兵が日本兵の仕業に見せかけて強姦や略奪、殺人をした記録です。

①「ヴォートリンの日記」

1月4日 「元支那軍将校が避難民の中に・・ 大佐と6人の将校が金陵女子学院に隠れ、略奪した少女を強姦して日本兵がやったように見せかけていた。大佐は宣教師によって、難民収容場を管理する2番目の地位に就けられていた」

1月16日

ありとあらゆる悪業がきょうこの南京でおこなわれたであろう。昨夜、語学学校から少女30人が連れ出された。そして、今日は昨夜自宅から連れ出された少女たちの悲痛きわまりない話を何件も聞いた。その中の一人はわずか12歳の少女だった。(略)今南京で起こっていることを、日本の良識ある人々に知ってもらえさえしたらよいのだが、神さま、今夜は南京での日本兵による野獣のような残忍行為を制止して下さい。

(分析)

日記では強姦は主に夜中に行われている。日本兵が昼間に堂々と強姦をした記録が残っている。4日の記録も考え合わせると夜中に活動していたのは便衣兵。

②イタリア大使館に逃げ込んだ、教導総隊の大隊長郭岐が泥棒市場について記載

夜の間は獣兵(日本軍の事)難民区の内外を問わず、活動する勇気がなく、兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけで、このときが活動の機会となった。人々は難民区内外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。当時、食品会社には食べ物が、妙機会社には日用品が、絹織物問屋には絹織物があった。だから一晩働くと翌日には手にはいらないものはなく・・。

南京市民が強奪、掠奪の当事者ですあった事が書かれている。

③蒋介石日記 11月30日「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)撤兵時の略奪・強姦など軍規逸脱の凄まじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」

④AP通信のマクダニエルは中国兵が灯油をかけて、家に火をつけるところを目撃したと言っている。

⑤月刊中国 主幹、鳴霞氏の証言

「1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。

部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。

大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。

誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。」

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