解決しておかなければならないことオオヤマツミ神の正体(3)

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「本社は社号を日本総鎮守、三島大明神、大三島宮と称せられ、歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く、奈良時代までに全国津々浦々に分社が奉斎された国唯一の大社である……」
と書かれている。

三島は、オオヤマツミが鎮座した島ということで、「御島」と尊称したのが始まりだったわけで、源頼朝や政子の故事で有名な静岡県三島市の三嶋大社などにはやはりこの人が祀られていることになる。

大山祇神社は、数万点に及ぶ宝物を蔵する国宝の社としても有名で、斉明天皇が奉納された唐時代の禽獣葡萄鏡や、平安時代の書家、
藤原佐理が書いた「日本総鎮守大山祇大神」
という重文の神号扁額などがきら星のように並んでいる。

斉明天皇は661年、新羅征討のために筑紫に向かわれている。おそらくその折り国家鎮護を祈って大切な鏡をわざわざ奉納されたのであろう。

古くから交通の要衝であった瀬戸内海に君臨し、1万余に及ぶ分社が早くも奈良時代までに全国に祀られたことといい、天皇や武将たちの夥しい奉納といい、神号扁額といい、これらは全てオオヤマツミがただならぬ人物であることを明らかに物語るばかりである。

ここに至っては私の混乱はマックスに到達した。「皇国の本主」はスサノオである。天照大御神は7世紀に登場した神である。最初は天照大御神がスサノオに取って変わるのとともにオオヤマツミの地位が向上したのかとも考えた。

実際、その可能性は捨て切れない。記紀を何度も読み返すが、オオヤマツミはどう読んでも日本在住の一族であるとしか考えられない。

それに比較して、スサノオは渡来人である可能性が強いが、かなり古い時代に渡来してそれ以降全国に勢力を広め、全国で「皇国の本主」として崇敬されるようになった。

可能性としてはオオヤマツミはスサノオに使えていたが、天照大御神の一族が渡来してからは天照大神の一族に使えるようになったとも考えられる。そう考えると神話とも限りなく矛盾がなくなってくる。

しかしどうにも気にかかる。スサノオは「皇国の本主」、オオヤマツミは「日本民族の総氏神」「日本総鎮守」。

てっぺんがスサノオから天照大御神に変わるのは理解できる。支配体制とはそういうものだし、日本民族はそもそもそうやって支配者の変更を受け入れてきた。

しかし、産土神(うぶすなのかみ)は全く別問題なのだ。私は日本古代史を研究する中で、古い日本人としての感覚が呼び覚まされていくような気がした。私が育った地方では、今では本当に見かけなくなってしまったが、豊かな田が広がっており、田の神様(たのかんさぁー)という石彫の神が守ってくださっていた。田の神様は本当に数多く存在しており、当時歩こう会という会があって週末に各地の田の神様を見て回ると言うイベントもあった。その柔和な笑顔は見ているだけで心が安らぎ、守られていて、様々な害悪から命の源である米を守ってくれていると言う感覚を感じた。

 

 

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