解決しておかなければならないことオオヤマツミ神の正体(5)

この冠岳に祀られている主要な神の1柱がオオヤマツミなのだ。日中両方の研究により徐福が実在の人物であると言うのはほぼ確かになりつつある。紀元前3世紀に最先端のテクノロジーを持った5000人から15,000人の渡来人が来れば、文明に革命が起こる事は容易に想像できる。それこそが弥生時代の始まりであろう事は間違いないと私は考える。

 

そしてこの冠岳がある場所こそニニギノミコトとオオヤマツミが出会った場所のほど近くなのである。ニニギノミコトは降臨したわけだから渡来人であろう。となると理論的に考えればニニギノミコトは徐福と言うことになる。この理論は修正しなければならないのだが、とりあえずはおおまかなイメージとしてそのように考えていただければ良い。ならばオオヤマツミはニニギノミコトを迎え入れた地元民の族長であると考えられる。

 

議論を繰り出すに戻そう。いったい、「総」を冠する神さまと神社が二つもあるとはどういうことだろう。両社に記録の誤りがあるとも考えられない。

津島神社の方は、弘仁元年正月嵯峨天皇から賜ったというはっきりした記録があるし、大山祇神社の方も、藤原佐理が書いた桐額まで保存されている。

 

ラーメン屋に例えるのは失礼だが本家と元祖の争いのように「総氏神」「総鎮守」の本家争いかというと、そんな話も聞かない。

神道界でそういう話が無いかというとそういうわけでもない。1番有名所で行くと宇佐神宮と鹿児島神宮はどちらが本八幡宮かと言う明確な争いがある。

 

しかし、津島神社と大山祇神社の間にはそういった闘争は影も形もないのである。

 

では、この不合理な事態はどう解すればいいのか。小椋一葉氏は最も簡単で合理的な結論を出した。私はこのような考え方が好きだ。選択肢がいくつか考られるならば最も簡単で合理的なものが真実であるという確率は極めて高いと私は考える。

 

小椋一葉氏は言う

「考えられるのはただひとつ。スサノオがオオヤ
マツミであれば、この謎は解けるということだ。

スサノオ=オオヤマツミ。

こうしてわれわれは、第一の鍵から、この等式に導かれた。しかし、いまだこれは、極めて信憑性
は高いといってもやはり一つの仮説にすぎない。
仮説は検証されねばならない。」

 

ここで登場するのが第二の鍵である。大山祇神社は、オオヤマツミの子孫の小千命が、神武天皇東
とすれば、大山祇神社を創祀した。この「小千命」なる人物を徹底的に調査すれば、オオヤマツミの正体は自然に明らかになってくるはずである。いったい「小千命」、彼は何者なのか。

 

さっそく調査 てみると、十五代応神天皇の時代、今治地方が小千と怒麻の二国に統合された時、小千国造として最初に伊予に下向したという小千
(乎致とも書く)なる人物が出てきた。

彼は現在の今治市大浜の地に館を置き、小千国(現在の越智郡今治市·東予市)を開拓した。この人
はとても優秀だったようで、松山市にある勝岡八幡神社や、今治市の大浜八幡大神社などに祀られている。

勝岡八幡神社の記録を見ると、
「饒速日命の末裔小千御子を祀る。応神天皇の時代小千国造に任ぜられ白人の城で庶民に仁孝を
施した。よってこれを中野山に斎祀した。永享年間今の地に移し、宇佐八幡を勧請して勝岡八幡宮
と改めた」
大浜八幡大神社の方は、乎致命とともに、饒速日命、天道日女命が一緒に祀られており
「応神天皇の時代、乎致命が小千国造に任ぜられ、大浜の地に屋形を造り、小千国を開拓して支配した。命の九代の後裔乎致高縄が大浜に1社を創建し、命を斎祀し、大阪大神と称したのが当社で
ある。また命は越智の祖先であることから、同氏は当社を氏神とした」と書かれている。

 

コメント