熊野本宮大社の研究

次に紀伊の熊野本宮大社である。当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)である。

三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになる。

天火明命(あめのほあかりのみこと)は、天照神社の研究でも出て来たが熊野大社との関係といえば古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神ともされている。天火明命は海部氏の祖神でもあり、非常に興味深く研究するべき対象だと思う。

天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えした。同じ頃に高御産巣日神は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれたとされている。

第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、三体の月が降臨した。天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねた。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになった。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われている。

また熊野本宮大社のあちこちに八咫烏がみられる。神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになったという。

ここまでみてやはり、紀伊の方が本宮ではないかという感は拭えない。

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