出雲井神社古伝3

富當雄氏が始めて世に出たのは司馬遼太郎氏の作品による。昭和40年代に書かれた「生きている 出雲王朝」という随筆である。
司馬氏によると富當雄氏はなんと大国主命の末裔で、語り部だという。
語り部と言えばアレ。そう稗田阿礼(ひえだのあれ)。はい、ここ笑うとこです。稗田 阿礼は女性説が根強くある。私も女性説派である。稗田阿礼は、天武天皇に舎人として仕えており、28歳のとき、記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられたと記されている。ちなみにこの『帝紀』『旧辞』は現代では失われている。おそらく『帝紀』『旧辞』は天皇家の史書であり、もし現存していたなら、価値は計り知れない。きっと多大な情報をもたらした事だろう。これらの貴重な資料を葬り去ったのは藤原不比等で間違いないだろう。藤原鎌足、不比等の親子は良きにつけ、悪きにつけ、日本という国のいく末を運命づけた巨人であると言える。稗田阿礼は『帝紀』『旧辞』を一言一句違えず覚えており、それを太安万侶が筆録し、『古事記を編纂した。この過程に藤原不比等が一枚噛んでいる事は間違いない。話がそれたが語り部というのは文字がなかった時代(文字はあったかもしれないが)恐るべき記憶力で一族の歴史を暗唱し、必要に応じて詠唱した人であり、富當雄氏は富氏の語り部という訳だ。
富當雄(とみまさお)さんは元サンケイ新聞編集局次長で身元もしっかりされた方だ。16歳の時以来、父上から出雲神族の歴史を聞かされてきた。たとえ兄弟たりとも他言無用として、4500年もの間、一子相伝の秘密として語り継がれてきたものだ。

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