三種の神器 草薙剣に天皇家が拒絶されたという事実

さて、未解決問題を解決して行こう。草薙剣のその後については、事件18年後の朱鳥元年(686年)6月10日条に記述がある。同条によると、天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと見なされたため、剣を尾張国の熱田社に送り置いたという。
古代史マニアならこの記述を読むと唸ってしまう。なぜならかつて崇神天皇の御代に同じような事が起こったからだ。
『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、天皇はその原因が天照大神・倭大国魂神の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭の笠縫邑に祀らせた。なお、その際豊鍬入姫命は居所から三種の神器の一つ、八咫鏡を持ち出している。この時、以来、 八咫鏡 が皇居に戻った事はない。なお、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせたが失敗している。
『日本書紀』 垂仁天皇25年3月10日条によると、天照大神は豊鍬入姫命から離され、倭姫命に託された。その後、倭姫命は大神を奉斎しながら諸地方を遍歴し、伊勢に行き着き、伊勢神宮が開かれる事になった。つまり、伊勢神宮は天照の御霊である八咫鏡に崇神天皇が拒絶される事がきっかけで出来たのだ。
それと同じ構図なのが「草薙剣盗難事件」なのであって、この時は草薙剣に天皇家が拒絶されたために起こったわけだ。
なぜ、天皇の証、三種の神器に天皇が拒否されるのか?本当は引っ張りたい所だが、わかりにくいと嫌われるのでバラしてしまうが、実は天皇家は崇神天皇からは血筋が少し入れ替わっているからなのである。元々、三種の神器は物部氏の持ち物であった。天皇家も物部氏から出ていた。それを奪って秦氏系崇神天皇が位に着いたのだから祟られて当然なのである。なーにを適当な事言ってんのと思うかもしれないが、最後まで読んでいただきたい。納得させてあげよう。
実は 「草薙剣盗難事件」は崇神天皇の時と構図は似てるのだが、少し入り組んでいる。完全に解説すると長くなるのでヒントだけ書いておく。
森浩一氏は 私が最も影響を受けた考古学者の一人で正統派考古学者であるにも関わらず、古事記・日本書紀に述べられている多くの物語を、考古学の史料と方法で検証することが必要であると主張された。まだ、古代史の研究を始めたばかりの頃、彼の著書「記紀の考古学」を読んで、大いにインスパイアされた。昨今では彼の考古学における偉業ばかりが取り上げられ、 古事記・日本書紀に述べられている多くの物語を、考古学の史料と方法で検証することが必要であるという主張 は全く日の目を見ていないのが残念である。この状況をひっくり返すのが私の目標の一つである。

森浩一氏はおもしろい主調をしている。草薙剣を盗ませたのは「天皇勢力そのものであり、そのことが法海寺の建立という矛盾する事態につながっているのではなかろうか」と推定している。
愛知県知多市に法海寺という寺がある。門前の石塔には「天智天皇勅願所」とあり、本堂前の略縁起には、草薙剣盗難事件の後、新羅への帰国を断念に当地で堂宇をいとなみ、天智天皇御不例の際、祈願により平癒され、その功により、「薬王山法海寺」の勅額と寺田280町歩を賜った、とある。おかしな話である。神宝草薙剣を盗んだ大罪人が何故厚く遇されているのだろう。
物部氏系から秦氏系へのシフトに加えて、この頃は天智系と天武系の争いもあった。この件については断言するまでには研究は至っていないのだが、草薙剣を盗んだ 道行はおそらくは新羅僧ではなく、天智天皇の手の物で、 天智系と天武系の間に草薙剣をめぐる争いがあったと見ている。

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