筑紫の日向の高千穂の久士布流多気はどこにあるのか?

古事記にはニニギが三種の神器を携えて「筑紫(=九州)の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った」とある。
まずは有名所からいくと熊本、大分両県に隣接する高千穂町と、鹿児島県との県境に広がる霧島連山の秀峰、高千穂峰(高原町)の2ヶ所がある。この2ヶ所が全国的に有名な訳です。ところが、他の候補や他の降臨伝ある。

もう一度古事記に戻ろう。
「筑紫(=九州)の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った」
まず、筑紫を九州とするのは苦しくないだろうか?実際、鹿児島県の私からすると筑紫に高千穂があると言うのはなんとも妙な気分である。さらに奇妙なのは宮崎である鹿児島であれ高千穂に久士布流多気などないのである 。

古田武彦氏はこの問題に対して鮮やかな解決策を示している。

『怡土志摩いとしま郡地理全誌』
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、東京糸島会発行所収)という本に以下のような記述がある。

「○高祖(たかす)村、椚(くぬぎ) 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。民家の後に、あるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す。」

この文面は、つぎの二つの内容をふくんでいる。
(一)慶長年間、黒田長政の書状(田中家蔵)に「五郎丸の内、日向山に、新村押立」とある。これがこの椚村の起源であろう。
(二)椚村の民家の裏の山を「くしふる山」という。その「くしふる」がなまって「くぬぎ」というのではあるまいか。
さらに、右の(一)の「五郎丸」について、つぎのように書かれている。
「○慶長郷村帳には、高祖村のうち、三雲村、高上村、宇田河原村と記せり、すべて五郎丸村とも称せり」

つまり、糸島郡の有名な遺跡、「三雲遺跡」の近辺が「五郎丸」だ。高祖村中の三雲・高上・宇田河原等の総称だというのである。それゆえ、ここにあらわれた「日向山」とは、高祖山のあたりの山をさすこととなろう。また、椚村の裏手に「くしふる山」がある、と書かれている。これこそ特色ある山名だ。

まとめると
(1) 日向峠・日向山と並んでいるのであるから、この地帯が「日向」と呼ばれたことは、疑えない。
(2) ここは「筑紫(筑前)の日向の・・・・」といって当然だ。
(3) 同じ地域に「くしふる山」という特色ある名の山があった。

つまり天孫降臨の地は福岡県福岡市と糸島市の境に位置する高祖山という事になるのだ。

コメント